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日本三大勅祭 石清水祭にご招待頂きました

 令和6年9月15日(日)『勅祭 石清水祭』に、当協会の平田益男理事長、岡本豊明理事の2名がご招待いただきました。

 儀式は深夜2:00の御神霊を奉遷する儀式から始まり、3:00 からの神幸行列は、王朝時代の装いに身を包んだ総勢500余人のお供(神人:じにん)を従えた3基の御鳳輦(ごほうれん)が山麓の頓宮にお下りになり(神幸の儀)、それに続く「奉幣の儀」の斎行の後、8:00からはこの祭の原点とも言える、生きとし生けるものの平安と幸福を祈る放生行事(魚を川に放つ放魚)が執り行われました。

石清水祭とは  (石清水八幡宮ウエブページより転載)
 石清水祭は清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。そしてこの石清水祭が勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣に始まるとされています。その後、円融天皇の天延2(974)年には朝廷の諸節会に準じ楽人舞人が舞楽を奏することなどが定められ、さらに延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど益々荘厳の度を加えることとなりました。 

 しかしながら、後花園天皇の御代(1428~64)の末年頃よりは諸国戦乱のため式日延引すること度々に及び、ついに文明年間(1469~87)以降は全く中絶するに至り、約200年を経て霊元天皇の延宝7(1679)年に再興され旧儀に復しますが、明治初年の大改革により石清水放生会の名は明治元(1868)年に『仲秋祭』、同3年に『男山祭』と改称され、同5年には神幸の儀が廃されて単に地方長官が奉幣使として参向されることに改められました。
しかるに、同16年、明治天皇には旧儀復興を仰せ出され、翌17年より毎年新暦9月15日に勅使参向の上、祭儀が厳粛に執行されることとなり、大正7年には明治2年以来「男山八幡宮」と改称されていた社号が旧称「石清水八幡宮」に復したことに伴い『石清水祭』と改称され、さらに昭和20年からは官制廃止により旧儀中絶の已む無きに至り、勅使のみ参向され祭儀を執行せられましたが、同24年からは石清水八幡宮一社において三たび旧儀により護持斎行することとなり、現在に及んでいます。


勅祭 とは
《勅祭(ちょくさい)》
 勅祭とは、天皇陛下の使者である「勅使(ちょくし)」が派遣され、天皇陛下からのお供え物である「幣帛(へいはく)」が奉献される祭祀のことです。この勅祭は、全国の約8万社ある神社の中で16社だけで斎行されるお祀りで、その中でも旧儀による三大勅祭は重要な祭祀で、石清水八幡宮にとっても最も重要な祭典です。

《三大勅祭》
 ・賀茂祭(葵祭):賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)
 ・春日祭:春日大社
 ・石清水祭:石清水八幡宮

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